昭和45年1月13日 朝の御理解      (末永信太郎)    №45-005

御理解第二十節
 此方が天地金乃神よりおかげを受けていることを話にして聞かすのぞ。疑うて聞かぬ者はぜひにおよばず、かわいいものじゃ。また、時を待っておかげを受けるがよし。めいめいに子を持って合点せよ。親の言うことを聞かぬ子が一番つまらん。言うことを聞かぬ子は、親もしかたあるまいが。



 私はこの二十節は、信心の話をしても、なかなか信心になろうとしない。そんなことがあるか、と。(いっしょうにもぶして?)信心の話を聞こうともしない。そういうような人に対する御理解のようにばっかり、私は思うておった。ところが、実際はそうじゃないんですね。これは、もっともっと、これは、もう私自身のこととして頂かなければいかない御理解ですね。
 信心を頂いておる者は、信心していますということじゃないですね。たしかに、最後に、めいめい子を持って合点せよ。親の言うことを聞かぬ子が一番つまらん。親が子供に(     聞こえない         )。ね、これはもう、(        と言うわけにも      しかたがない)。親もやはり、しかたがあるまいが、と。と言うてここに、さじを投げておられるというのではなくてですね、時を待っておかげを受けるがよし、と。めいめい、子を持って合点せよと、合点する時があると、親の切なる子に対する願いがですね、いつも、いわば、後ろ祈念というか、後ろから合掌して、そのことを願い続けておられるといったような御教えだと思いますですね。
 縁なき衆生は度し難し、と。まあ、仏教の言葉にあるですね。縁のない衆生は度し難い。いわゆる、もう、救い難いという。これは、そんな意味じゃないですね。いつまでも、合点することを願ってのことなの。分かってくれよ、分かってくれよ、ということなん。ですからこれはね、たとえば、信心を頂いておる者に対するんだと思いますね、この御教えは。
 いわゆる、此方が天地金乃神よりおかげを受けていることをと金光大神が言っておられますが、なら、ここで言うならばです、大坪聡一郎わたくしがです、神様から頂いておることを、皆さんに伝えておるということ。だから、それを疑うて聞かぬ者は、ぜひに及ばずかわいい者じゃということはね、これは、可哀想だということなんだ、と。
 はあ、しようがないな、可哀想なもんじゃなあ、と。こうして、あああってくれよ、こういうおかげを受けられるよ、と。たとえば、願いを持って、話を伝えておりましてもです、ね、その話を聞こうとしない。それを、疑うてかかるという訳でもなかろうけれども、軽う見る。そんなわけにはいかんというほどしの、難しいことでもないのにです、ね、心機一転、私どもがその気にならせて頂ければ出来る事柄をです、私どもが、何十年、だから信心しておってもです、もしその教えを行じて行こう、教えを本気で頂こう、身をもって血に肉にして行こうという願いを持っていないとするならね、やはり、かわいいものじゃ、だと。
 ね、神様が可哀想な。毎日毎日ああして参って来るけれども、可哀想じゃなあ、言うことを聞こうとしない、ということなのですから、これは、もうまさしく、信心を頂いておる者に対することだと。ね。皆さんは、この二十節をどのように頂いておられたであろうか。ね。もう、信心のないモンばっかりは仕方が無い、と。お導きをする、お話をしてあげても、聞こうともしない。
 そういう事があるもんかと、ふんと、こう鼻の先で笑うような人達。まあ、それでもいつかおかげを下さるようにという祈りを持つ。そういう風に、私はこの御理解は頂いておった。ところが、今日は私はそうじゃない。ね。言うことを聞かん子が一番つまらん。言うことを聞かぬ子は、親でもしかたがあるまいが、と。親でもしかたがないのですよ、言うことを聞かなかったら。ね。
 そこに、私はその、親の言うなら、悲しみと言うか、親の切なさが感じられます。ね。だから、ほんならお前が一遍、本当にひとつ子供を持ってから、合点せよと。だから、その合点させて頂くまでにです、ね、様々に神様が、これでも分からんか、これでも分からんかとこう、合点させて下さる、手を打って下さるんですけれども、こちらが合点しようとしない。私は、今日はこの御教えを頂いてから、ほれはもう、本当に信心のない者のとか、不信な者とか、そんなこっちゃない。これは、もう私自身のこととして、これは頂かなきゃならんなと、私は今日は、痛感致しました。ね。
 ですから、私どもがそれをね、本気でたとえば、はあ、そんなもんかなと思い、それをそのように、私は行じていく、改まろうとして行くその姿勢がね、全然出けてない人に対する、神様の憐憫(れんびん)とでも申しましょうかね、かわいいものじゃと仰っておられるから。
 どれだけ御教えを頂いても頂いても、ね、それを頂き、行じようとしない、言うことを聞かない氏子、信者、と。私は昨日の朝、お夢を頂いておった。もう、ずいぶん、ここに熱心に信心しておられましたけれども、だいぶんご無礼になっておられる方があります。その方が、深い井戸ん中に落ち込んでおるお夢でお知らせを頂いた。それはもう、救いようがないように、深いその井戸である。
 ほれで私は、これは本当に、上からね、綱でもこう下げてやらなければ、私が下げてやらなければ、下げたやる人はなかろうと、私は思うて。私は御信者さん方に、あの、手紙を書くということはまずないですけれども、昨日、初めて簡単な葉書きをその方のために書かせて頂いた。それが、まあ、救いの綱にでもならばと思ったからです。
 そのことを神様にお願いさせてもらいよりましたらね、「天地新春」ということを頂いた。やっぱ正月だから、葉書きですから、まあ、謹賀新年といったような意味のことじゃないだろうかと思うね。天地新春。天地が新しい春に躍動しておる、漲っておる。春の息吹がそこに感じられる。今、こうして全教一斉に寒修行がどこの教会でもなされておる。ここでも、このように、いわゆる、寒さもついて、やはり、朝早くから寒修行を皆さんこのようにお参りになっておられる。
 確かにですね、そこには新しい一つの天地の息吹、と。それも、もう、すぐ春だというその感じをですね、この寒修行の中に私は感じます。今、合楽ではこのようにです、ね、いわゆる天地いっぱいに漲る新春の息吹というものがです、いわば合楽のお広前いっぱいに漲っておる。そこに縁を頂いておる人達がです、この息吹に触れて信心のけいこを本気でさせて頂いておる時なのだ。それに惰眠をむさぼっておる。それでは、おかげにはならんぞ、というような、まあ、そのお夢を頂いてその方に葉書きを書こうと思うたら頂いたから、そんなものを私感じたんです。ね。
 私は、本当に合楽に御神縁を頂いておる人、本当にこういう、もう、とにかくですね、全教をあげて、または言うならば合楽をあげて寒修行に、いわば突入しておる、と。それに遅れをとっちゃならんという勢いがですね、私は大事だという風なことを、この天地新春の中から感じた。それに、何ぞやあなたは、もう、おかげを頂いておりながら、長い間お参りもして来んが、最近どうしておるのかと、まあ、手を差し伸べるというか、ね、深い深い井戸に落ち込んでおられるその人に、こう、綱を中へたらしてやるような思いで、昨日、その葉書きを出させて頂いた。ね。
 そこにはもう、それこそ切なる切なる神様の願いというのがあるのですよね、私にお知らせを下さるということは。ね。そこで、なら、その救いの綱をですよ、投げてやりましても、それを掴もうとしないならば、ぜひに及ばぬ、かわいいものじゃという事なんです。私は、御理解この二十節をです、ほれは、ほんなこて信心のなかモンばっかりは仕様なか、と。いくら言うてはなして聞かせても、本当に聞かん、と。
 まあ、そういう疑うて聞かん者はしかたがない、という人達のための、この二十節だと私は今まで思っておった、本当に私自身。ね。ところが、そうじゃないです。御信心を頂いておる者にこそ、これは下さってあるんです。ね。此方が天地金乃神よりおかげを受けていることを話して聞かすのぞ、と。疑うて聞かぬ者はしかたがない。 
 ここでは、毎朝皆さん、こうやってお参りをして見える。ね。天地金乃神様、金光大神様のお取次ぎを頂いて、私は神様に頂いておることを皆さんに聞いてもらっておる。ね。それを、まあ、疑うて聞かんというわけでもなかろうけれどもです、ね、それを頂こうとしない者は、私は、かわいいものじゃということになるのじゃないだろうか。ね。
 だから、これはもう、親でもどうにも仕方があるまいが、と先に仰っておられるますようにね。また、時を待って、おかげを受けるが良しと。もう、縁なき衆生は度し難いという風ではなくてですね、いつかは分かってくれるだろうと、後ろから祈り祈りしておられる。または、場合にはこのようにして、手を差し伸べておって下さる。いつかは、その手にすがって来る時があるだろう。
 銘々に子をもって合点せよ、親の言うことを聞かぬ子が、もう一番つまらん、と。いくらお参りをさせて頂いても、教えを頂いても、それを言うことを聞かん子が、もう一番つまらんとこう。ね。言うことを聞かん子は、もう親でもしかたがない。仕方がないからと言って、放ってはおかれない。やはり、時を待って、おかげを受けたがよかろう、というその時を、もう、いわば伺うておられる。その時を、やはり来るのを願っておられる。私は、そういう風にですね、これは私をはじめ、神様から、言うならば頂くことそのことをです、これは本気で頂くという姿勢を進め、そして、取り組んで出ける出けんは別としてですよね。取り組んで、私はおかげを受けて行かなければいけない。
 それは、先日からお話の中にもありましたようにね、それはどんなに深い、なら、井戸なら井戸に落ち込んでおりましてもね、その落ち込んでおるそことてもです、やはり神様の懐だというのはね、私はやっぱ、どこまでも仏教的だと思うですね。私は金光様の御信心はね、それは人間ですから、生身を持っております、どこにどういうお粗末がご無礼が出けんとも限らんわけですから。
 だから、そういう深い井戸の中に落ち込んでおるということは、やっぱりおかげを落としておるんだと、こう思うんです。ね。けれども、その、そこからですね、這い上がろうとする意欲。ね。そこから、這いあがろうとする願いというものがです、私はその辺が、金光教的な信心だと思うです。だから、打ちこみました。けれども、けれども、このような深いことが分かって参りました、落ち込んだおかげで。ね。
 落ち込んで見なければ分からないほどしの、深いことが分からせて頂いたという、私は時に、初めてです、ね、その落ちた底のところも神愛の中であると分からせてもらうのであって、もし、それを落ちたままであるとするなら、それは、やはり神愛から漏れたもの。言うなら、かわいいものじゃということになるのじゃないでしょうか。ね。綱を投げかけてやっても、それに掴もうともしない。仕様がない、可哀想なもんじゃということになる。
 私が、まあ、修行のいわばはじまりですね。北京から引き上げて参りましてから、で、信心の有り難さが段々わからせて頂いて。もう本当に、願えば願う通り、置いた物をとるような商売の上におくり合わせを頂いておった。ほれはもう、この調子で行きゃあ、本当に大きな商売人になれるぞ、と。そして、本気で御用に打ちこむことが出来るぞと、まあ、思うた時代でございましたよ。ね。
 けれども、それはつかの間であった。本当にその時に、神様の間違いなさということを、やはり実感させて頂くおかげを蒙ったが、そこには人間ですからね、慢心が出てるわけ。自分の願うこと、それは、また本当に慢心が出るほどしのおかげでしたよね。もう、それは驚くばかりでした。うん。だから、自分の行くところに敵なしと言うでしょうかね、そういう、その、我武者羅な生き方。
 全然、資本なしに福岡へ出てですね。あちらへ、福岡の教会に泊まらせて頂いて、その翌日、私は福岡の三代吉木辰二郎先生にその旨を伝えましてね。その、善導寺の奥様のお里にもあたることだから。まあ、面倒見てもらうだろうというような安易な気持ちがあったもんですから。一晩、そこにとめて頂くつもりだったんだ。私は福岡という所は、本当に知らんのですよ実際。
 それこそ、右も左もわからんのです。ですから、それでも、まあ、少しばかりの食料やら、まあ、身の回りのモンやら持って、福岡へ出てるんですからね。それで、今晩は、ここの教会でお通夜をさせて頂きます。明日は、家も探さにゃならん、商売も探さにゃならんと、もう考えて見ると、もう無茶苦茶な話なんです、大胆な話なんです。そしたら、吉木先生が、こう仰った。
 大坪さん、金光教のお広前はね、その、お通夜をする所じゃないて。もう、一遍ぶっすりにやられましてね、それでも、こちらは心臓が強いですよね。はあ、お通夜がいかんなら、ただ御祈念することならよかろうと私は思うてから、もう、一生懸命御祈念をし通そうと、こう思うたです。お通夜ということは、そこへね、夜を通してということなんですけども。
 私が、御祈念をすることならよかろうと、私思うたから。それから御祈念、一生懸命御祈念させて頂いた。もう、ぼちぼちお広前を閉められました。もう、十時晩には、みんな閉まってしまうんです。表のここんところが幕になってるんです。もう、幕も閉めてしまわれて、もう、みな休まれたような風でした。けれども、私はそこへ、もう一生懸命御祈念をしておる。もう、仕様のないヤツだと思われただろうと思いますようね。それからもう、一押し御祈念させて頂いて、ですから、もう、一時半も二時もあったのじゃないでしょうか。ふっと顔を上げましたら、その、御結界がこうあちらにあって、幕がこう引いてある。幕のひれから吉木先生がフッと顔を出されましてね。とこういうて、私を手招きされるんですよ。
 そして、来させてから、楽室が左側にありますから、楽室を床とっとるけん、早う休みなさいち、と言うて頂いた。もう、私はそん時ですね、もう、こういう大教会の教会長にでもなられる方は違うと思いましたね。一遍はお通夜する、御通夜てん何てんちゅうことは、金光様の御信心じゃなかばいと、ポンと蹴っといてです、それでも一生懸命すがっておるなら、それを帰そうとなさっておられずに、しかも、私と一緒にやはり御祈念しとって下さったんだと私は思うですね、幕の中で。
 ほんで私が御祈念終わったもんですから、顔を出してから、大坪さん、そこで床とってあるから休みなさい、と。もう、私は感激しました。そして、朝の御祈念を頂いてから、もう西も東もわからない、私は、ところを、もちろん歩いてでございますから、歩いて約、4~5町も(荒田?)の教会から東の方へ向かって参りました。もう、ずうっと、あの辺は焼け跡でございましたが、焼け跡にぽつんぽつんと家が建っておるという程度の時でしたが。ある一軒のお家に入りましたね。
 そしたら、もう、こんなに肥えた布袋さんのようなお爺さんが、胡座をかいて火鉢の前でお茶でも飲んでおられました。して、私そこへ参りましてから、実は私は、福岡で商売したいと思うて、その、出て来たんですけれどね、もう、西も東も分からんのですよ、と。もちろん、資本もないのです、と。ですが、まあ、何かブローカー的なものでも、何かその、そういう商売の手がかりになるようなことはないでしょうか、と。もう、私をそれこそ繁々見てから、もう、ふぐさんなヤツが来たと思うて見られたんですね。
 ところが話を聞いておられる内に、あんたも変わった男じゃあるのち言うてから、言われるです。それは変わった男ですよね。そしてあんた、この広い福岡の町をあんた、商売してまわるち言うちから、資本もなからなければ、商品もない。何も持たんとで、よう、まあ、大胆に出てきたもんじゃなと言うて、言われるんですけれども。それはその、まあ、歩くにしたところでですよ、歩いてまわったって何じゃから、あの、裏の方へ小さい倉庫があった。倉庫に自転車が一台入っとるけん、見て来てごらんと、こう言われるですもん。ほれは見てきて、見たところでどうにも仕様がないですけれども、まあ、見せてもらったら、宮田製の、当時、朝日という自転車で、それは中ふりじゃあるけれども、立派な自転車が一台入っとるですもん。
 ほお、立派な自転車ですねえち言うてから。そん時、これをあんたに、五千円で分けてやろうと、こう言われる。それも言うに、私は実際、そのお金というのは全然ないのですよち言うたら、よかち、売って行きなさいち言わっしゃった。もう、私は世の中にこんな人があるじゃろうかと思いましたよ。もう、終戦当時のですね、人心はもう、本当に乱れに乱れておるという時代にですよ。
 ね、人の信用なんかとても出けるような時じゃない時にです、ね、それで私は、そんならばですね、私に一週間貸して下さい。ね。一週間の内にはお払い致しますから、と。そして、そこにはですね、色んな繊維物の見本が持ってきておられてですね、その、そういう商品の見本まで貸して下さったんです。商売人の家の、ただ、ほんの普通のお家です、すのこ町という所でした。ね。
 それは、名前は(みたて久四郎)という人でした。それは、まあ、余談ですけれども、椛目の時代にみすどが出来ましたでしょう、夏の(と)が。ね。そこの、あの、たまたまね、頼みましたら、そこの親分の方だったらしいですね。それが、んなら、十何年後に、その人とまた、そういう縁が出けた。けど、もうその方は、もうおられなかったですけれども、そういうような縁がございますがね。
 私はそれを、確かに三日か四日でお払いしましたよ、その自転車のお金を。そして、そこから色々と商品を借りたり、それからもう、まあ、(ふくはく?)を股にかけてから、まあ、様々ないわゆる資本のない商売ですから、もう、人が売りきらない、もう、売りきらんといったような商品の見本を借りては、それを見本を持って売り歩いて。
 そして、ひと月の間に次々と店員さん方が入ってくる。その入ってくる度に、自転車を一台ずつおかげ頂いた行ったです。ね。そうしてお商売をさせて頂くようになってから、一月の収益が出ますと、その収益は全部がお供えでした、私の場合。というのは、こげん何もなしにでも商売出来るんだという確信がついたからですよ。ね。皆に給料を支払う、最低の家の生活費をもらって、余りは全部お供えでした。ね。
 それがもう、本当にそれ一年ばかりはそのような風で、置いた物を取るような時代でした。ね。ところが、そんな風ですから、もう、私が慢心を起こすはずだと思うくらいに、今から考えてみるとですね、神様の間違いなさを下さったがです、ね、それが見事に、今度は裏目裏目に出て来るようになった。私の上に、もう様々な問題が起きてくるようになった。もう、どうにもならない。もう、(沖縄送り?)になるという寸前まで行った。ね。
 それがもう、紙一重のところで色々なおかげを頂きましたけれども、その、もう商売の方は全然出けなく、立ち上がることすら出けんくらいになった。そん時にです、私がちょうど橋を渡っておる、その橋の手すりが壊れておるところからですね、私が川の中へ落ち込んでおる様子をお知らせで頂いた。ね。慢心です、慢心は大怪我のもとと仰るが。ね。けれどもね、慢心した、おかげを落とした。落としたけれども、私の場合はですね、落ち込んだけれども、このまま、濡れ鼠でども上がっちゃ済まん。
 それこそ、転んでもただじゃ起きらんという根性ですよね。だから、せっかく川に落ち込んだんじゃから、鯉なっとん取ってから、いっちょ上がろうという腹で、両方にですね、鯉をこう抱いてから、その濡れ(背もたれ?)で上に上がって行くところをお知らせ頂いたです。ね。
 ですから、私はそん時にですね、私は徳という徳、力というなら力。その時分から力がつき出したんじゃなかろうかと、自分でも思います。ね。だから、落ち込むということは、もう、おかげ落としです、やっぱり。慢心で大怪我のもとをしたわけです。けれどもね、そこからね、そこからただでは上がらんという生き方なんです。ね。今日の御理解には、ちょっと、まあ、余談のようになりましたけれどもです。ね。
 神様が、例えば今日の御理解、言うことを聞かん子はしかたがあるまいが、と。後ろからもう、本当に切に切に、祈りに祈っておって下さったんだということを感じます。ね。そげな調子に行きよると、危ないぞ、危ないぞと、何遍かお気付けも頂いたことでしょうけども、気がつく段じゃない、言うことを聞く段じゃない。もう、とにかく、自分の行くところに敵はないちゅうごたるその勢いで、ただ進んで行って、見事に落ち込んでおる。ね。その落ち込んだところから、いわば、私はおかげを受けておるということです。
 ね、親の言うことを聞かん子が一番つまらん、言うことを聞かぬ子は親でもしかたがあるまいが、と言われながらもさじを投げずに、そこまでお育てを頂いたということが有り難い。今日の御理解を頂いて、私はそれを思うのです。ね。おかげを頂いてから、ね、こうして日々、此方が天地金乃神よりおかげを受けていることを話にして聞かすのぞ、と。そのままを、ここでは頂いておるわけである。
 けれども、それを疑うて聞かぬ者は、ぜひに及ばん。また、時を待っておかげを受けるがよし。銘々の子をもって合点せよ。親の言うことを聞かん子が一番つまらん。ね。だから、これはその、私をはじめ、私どもがですよね、本当に、もう、ああして毎日毎日来るけれども。言うことは聞こうとはしない。ね。
 それでも、ああして一生懸命お参りはして来るから、いつかは分かって来れるだろう、とその祈りを絶やさず切らさずにですね、やはり、例えばその、〇〇さんじゃないですけれども、もうお参りをしなくなって大分になりますけれども。一時はここで大変、お役に立った方なんです。ですから、私のお夢の中にそのようなお知らせを下さって、深い深い井戸の中に落ち込んでおりますけれども。そのお知らせを下さったということは、これは、そこに救いの綱を投げかけなければ行けないと私が感じたようにです、投げかけて下さる。だから、落ち込んだそのことはおかげを落としておるのですけども、そっから、もし、その綱にすがって這い上がって来るとです、そういう深いところが分かってきた、信心の深いところが分かってきた。
 川の中へ落ち込んだ、ただじゃ上がらん。いわば、そこで私はひと修行させてもろうて、徳を受ける、鯉を頂いて上がって来るほどしのおかげを受けるということは、ね。だから、そういう風に頂いた時に、初めてそこに神愛が神愛となって来る。ね。落ち込んだおかげでということになって来る。だから、落ち込んだままであるとすんなら、やはり落ち込んだままである。ね。
 私どもはそういうような場合にですかね、どのような場合でも、そこから這い上がって上がれれる、ひとつ力を養うとかなければならん。その時、初めて、いわば神様が、いわば満足して下さる時じゃなかろうかと、こう思います。今日の二十節はね、私はそういう意味でです、これは、私をはじめ、私どもが頂かなければならない御教えであった。
 それを、私どもは今までです、何回も何回も頂いたけれども、ね、信心のない人。少し縁が出けたから、その人に話をしてあげてもです、金光様の信心てん何てんちゅうて、その言うような人達の上に、かわいいものじゃという風に神様は思いなさるのかと思うとったら、そうじゃない。一生懸命に信心をする者であればあるほど、親と子の情というものは濃くなってくるのである。
 ね、それでいて、一生懸命参って来るのにも関わらず親の言うことを聞かん。これは、親でもしかたがないて。参っては来るけれども、言うことを聞かない。これは、私どもの上に下さってある御教えであったと、今日は気付かせて頂いて。これは、本気で頂く、そのことを、ね、頂かせてもらうという姿勢。それこそ、今の合楽では、それこそ天地新春である。ね。
 天地が春の息吹に漲っておるような感じを、たとえば、朝のこの寒修行に感ずる。ね。もう、そういう息吹の中にです、これに漏れておる人。それに、まだ知らない人たちにも、どうでも、おかげを頂いて、この寒修行を真っ当させて頂きたい。
 そして、次の本当の春を迎えたい。寒中に本気で、寒中の何と言うですかね。寒肥を取るとでも申しましょうかね、根肥やしをしておくと言うか。本気での一つ寒修行を、生き生きと一つさせて頂きたいという風に思うのです。どうぞ。